太陽と芸術の国イタリアで留学生活をして
横須賀南西ロータリークラブの皆様こんにちは。私は2003年9月から2006年4月まで約2年半、国際ロータリー財団親善奨学生としてイタリアで音楽、特に声楽、オペラの分野の研究で留学をさせて頂きました志摩
大喜と申します。どうぞ宜しくお願いいたします。
約2年半のヨーロッパ生活の中で自ら体験したことをお話ししていく中で、時間が許す限り特に印象的な出来事、面白く楽しい体験談、エピソードを皆様にご披露したいと思っております。またスピーチの後には1,2曲歌も歌いたいと思います。
留学の目的
@語学の習得、A行動範囲の拡大(新しい人との出会い)、B帰国後の報告とレポート、音楽芸術を通じた奉仕活動。
初夢が正夢に
昨年は本当にいろいろなことが起きました。まさかの政権交代、百年の一度の経済危機、作家の村上春樹さんが4年ぶりに書いた長編小説「1Q84」が大ベストセラーになりました。音楽、特に声楽の分野での2009年のトピックスといいますと、イタリアから引越し公演、ミラノスカラ座が日本に来日したことが挙げられます。私は今年
、昨年と2日にわたって初夢を見ました。夢というのは見た後すぐ忘れてしまって、大体覚えていないのですが、はっきりと覚えています。自分がミラノスカラ座で歌う夢を見たのです。
その後、3月にレッスンを受けにミラノに行くことになり、観劇する立場であったのですがスカラ座を実際に観ました。ですから初夢がこれで達成されたのかなとばかり思っていたのですが、昨年の8月になってスカラ座が日本にやってくることがわかり、エキストラのオーディションを受けることになりました。初夢が正夢になったというのが昨年の体験でもありました。
演劇的社会
改めて留学生活を振り返ってみますと、実に多くの新しい体験と発見の日々だったと実感しています。ホストRC及びスポンサーRCの方々のお力添えにより沢山の出会いがあったことで、学業面にプラスして何事にも代えがたい貴重な経験を得ることができました。
イタリアは演劇的社会「Societa
spettacoli」と言われるように、職業を通じて街の人々一人一人がまるで役を演じ振舞っているかのように感じました。レストランに入ればウエイター、ウエイトレス、会計係、支配人という風に自分の職業に合ったユニフォームを着てそれが実に様になって見えます。まるでそのままオペラ、演劇の舞台に出てきそうなキャラクターが本当にその役を演じているように見えました。そして皆いかに生活を楽しむかと言うことに情熱を注いでいるように見えました。イタリア人は話し声が大きく自分の主張をはっきり相手に説得するように話します。一見怒っているかのようにも見えるのですがサッカーなどを見ていても熱中しやすい国民性だなと思いました。
またイタリアはとても信仰心に厚い国だと感じました。私はミラノから電車で南東に50分くらい行った街、ピアチェンツァというところに住んでいました。その人口10万くらいの小さな街にも教会が65個もあり、にぎやかな通りから少し入ると静かなところで皆お祈りしています。先ほどの怒っているレストランのおじさんが、午後になって教会にちょっと出かけて、静かにお祈りをしている。そういう姿を見ると、イタリアはカソリックの国なんだなと強く感じました。
文化を体験するにはミラノスカラ座や劇場に足を運びます。一歩踏み入れればヨーロッパ文化をすぐさま感じることができます。ここでもチケットの受付のお姉さんやプログラムを配る係りなど、皆一人一人が役を演じているかのようです。
ある歴史学者との交流
次に、目的の2番目の新しい人との出会いということについてお話をしたいと思います。
イタリアでの新しい出会いといえばLuigi
Muratoriさんとの交流です。
2003年の12月、とても寒い冬でしたがミラノ行きの電車の中で隣に座っていた80歳くらいのイタリア人のおじいさんに切符の事に関してイタリア語で質問をしましたら、なんと逆に日本語で返事が返ってきたのです。「どうぞ、日本語で話しかけてクダサイ」と。「私は日本語がワカリマス」えっ、と思いました。「私の名前はムラトーリと言います、漢字では村鳥と書きますネ」最初は面白い人だなあ、冗談を言っているのではあるまいか?と思ったのですが、念のためいつも持ち歩いている電子辞書の百科事典で「ムラトーリ」 を引いてみたら… 驚いたことにその名前が載っているではありませんか!
ムラトーリ(1672〜1750)
イタリアの聖職者、歴史家。ミラノ、モデナの図書館研究員として中世古文書の編集に当たり、多くの論文を発表。主著は「イタリア史料集成」「イタリア中世史論集」など。
つまりルイージさんはこのムラトーリさんの子孫であり、遠いご先祖様はイタリアを代表する歴史家という訳です。ミラノまでの50分間ずっとお話をしました。
ムラトーリさんは今から55年前、1953年に船に乗って日本に来たそうです。
そして東京に10年近く住んでいました。目的はキリスト教の布教のためと言っていましたが、大学でも教えていたそうです。イタリアに帰国してからはミラノで日本の貨幣や武具についての研究論文を発表されました。現在はパルマの大学で歴史学を教えています。日本美術にも大変造詣が深い方です。話しているうちに、私の住んでいるアパートから3分くらいのところに住んでいらっしゃることが分かったのでムラトーリさんの家にも呼んでいただき、イタリアの歴史や戦時中のお話を聞くことができました。ムラトーリさんはイタリア人なのですがアイリッシュティーが大好きで、行く度にアイリッシュティーを頂いたことを昨日のように思い出します。
日本語を美しく、明瞭に
私はイタリア語を勉強しようと思ってイタリア語でムラトーリさんに話しかけようとするのですが、ムラトーリさんは懐かしいと思って日本語を話したいらしく、知らない人が客観的に年が大きく離れた我々二人を見ていると面白い構図に映っただろうと思われて思わず思い出し笑いをしてしまいます。
また海外生活で最大の課題が語学の習得ですが、美しいイタリア語といえば、私が大学受験の時、イタリア語の発音を学ぶため、当時東京の御茶ノ水女子大学に留学し、日本文学を専攻していたナポリ出身のCarolina
Negriさんのことを思い出しました。彼女はナポリ東洋大学で源氏物語を始め日本文学を勉強していたのですが、彼女の話す日本語はとてもきれいで正確でした。さらに我が家に飾ってある掛け軸の漢字を初見でぱぱっと正しく読み発音したのには驚きました。普段何気なく使っている母国語を、外国人がその国の人以上にきれいに話すことには感動を覚えます。ですから私も母国日本の文化をもっとよく知り、まず日本語を美しく明瞭に話せるように心がけたいと海外で生活してみて改めて感じました。
この話をよくホストRCの卓話のみならず、親しくなったイタリアの友達に話しますと皆さん、近寄ってきて握手を求めてきて下さったりしました。
ロータリアンの方々との思い出
ホストロータリアンの方々とのお付き合いも多く、イタリアでも何回かロータリーの例会に出席させていただきましたが、その街では大体夜に例会があります。それも8時くらいから始まります。そうしますとお酒が入ってくる。声も大きくなって、ちょっと1曲歌ってみろとか言われます。建物も天井が高く、大聖堂のようなホテルでしたので、声が響いてきます。そういった所でもヨーロッパの石の文化と、日本の木の文化の違いも感じました。
ロータリアンの方はいつもバッジをつけていらっしゃるのでオペラ劇場に出かけていったときにもすぐ分かり、オペラやクラシックの演奏会を愛好する年配のロータリアンの方々にとって、オペラ劇場というのは上流社会の社交の場なのだと思いました。
ホスト顧問カウンセラーのGarilli氏は音楽院の学長でもあり、モーツァルトの研究家でもありました。2004年12月7日は、ミラノスカラ座が大掛かりな改築工事を経て約3年ぶりに再オープンし、先述したA.Salieriのオペラ”Europa
riconosciuta”で幕を開けましたがその最終リハーサルでGarilli氏夫妻とお会いし,サリエリとモーツァルトの関係について質問しましたが、サリエリは素晴らしい教育者でもあったと仰っていました。
また私が留学中に日本からロータリーの新奨学生が1人入学してきたので、自分のできる限りのアドヴァイスやお手伝いができるよう心がけました。自分が学びえたことを次のロータリー奨学生に引き継いで行きたいと思っています。
RC活動において留学中を振り返ってみますと、Rotaractの集まりに多く出席したことが一番印象に残りました。毎月1回のペースで同世代の若手イタリア人の中に入って、様々なコミュニケーションを楽しむことができました。具体的に挙げるならばまず、自己紹介からですが僕が「イタリアの国立音楽院で声楽を学んでいる。」と言うと決まってその場で歌うことになります。ピアノ伴奏なしのアカペラで歌い始めると、先程まで賑やかだった店全体がシーンとなり、集中して聴いている様子。高音とともに最後歌い終えると、割れんばかりの拍手をしてくれる。アンコールの掛け声まで上がるといった調子で毎回場所を変えてもこのような反応で「イタリア人ってノリが良い!」のかそれとものせるのが上手いのか、とたんにその後は仲良くなってしまうのです。参加して間もない私に「きれいなイタリア語だねえ」「どうやってイタリア語を覚えるの?」はたまた「君のお父さんはサムライだったのか?」「君は仏教徒か」「漢字でMarco
Poloってどう書くの?」今まで聞かれたことのない質問を辞書で引きながら真面目に答える僕を見て、ますます話題が広がって行きました。やはり東洋人がすぐその場でイタリア語でイタリアの有名な歌を歌う、というのは逆に考えるとイタリア人が日本人の集まりの中で「♪ああ〜川の流れのように〜」みたいな日本の懐メロを歌いだしたら、まずビックリするのと同じなのかなあと思いましたが、こと芸術において上手いか下手かを見極める、聴き分けるイタリア人の鑑識眼(耳)は鋭いなと感じました。生活の中に文化の厚みが見られました。
RotaractのメンバーFrancescaは誕生日に見渡す限り周り一面にブドウ畑が広がる彼女の別荘に招待してくれました。お礼に”♪Tanti
auguri a te!♪”(「Happy
birthday to you」の伊語版)を歌ってあげたらニコニコととても喜んでくれました。
まだたくさんいろいろなエピソードがあるのですがこのようにロータリー奨学生プログラムを通じて、多くのロータリーの活動、Rotaractとの交流、カウンセラーのGarilli氏からのオーディションや仕事の機会を与えて頂き、他の奨学金制度では得られない貴重な体験、素晴らしい方々との出会いに恵まれました。このような機会を与えて下さった神奈川RCの皆様、スポンサーカウンセラーの方々、スポンサー地区2780地区の皆様、ガバナー事務所の方に心から感謝の気持ちを送りたいと思います。
本日は皆様本当にありがとうございました。
志摩
大喜 |