例会日時 月曜日 12:30〜13:30
 例会場 湘南信用金庫北久里浜支店 2階
 事務所 〒239−0807  横須賀市根岸町3−3−18
  湘南信用金庫北久里浜支店内
  TEL&FAX 046−837−1211

E-mail:

yokosuka-sw-rc@dnsip.ne.jp

URL:

http://www.dnsip.ne.jp/~yokosuka-sw-rc
 会長 安田       治
 副会長 坂本    喬彦
 幹事 折笠    仁志
 会報委員長 大橋    昭夫

RIテーマ “Reach Within to Embrace Humanity

国際ロータリー会長 カルヤン・バネルジー
(
インド、グジャラート、バピRC

第2780地区ガバナー
森   洋
(横須賀北RC)

第1607回例会週報

2012年1月23日(月)

斉唱 「君が代」
合唱 「奉仕の理想」
唱和 「四つのテスト」
ゲスト紹介 横須賀市議会議員
永井 真人
2012年度公益社団法人横須賀青年会議所
竹折 輝虎理事長
近野 宏伸専務理事
ビジター紹介 横須賀クラブ
新倉 定治様
会長報告 *ガバナー事務所より、「インターアクト一泊研修開催通知」受領。
   日時:平成24年3月24日() 、25日(
   場所:厚木市立七沢自然ふれあいセンター
   登録締切:平成24年1月31日(火)
   費用:6,000円(宿泊)、3,000円(日帰り)
*ガバナー事務所より、「2013年度導入の補助金に向けての準備資料」受領。
*ガバナー事務所より、「姉妹クラブ、友好クラブ提携状況集計表」受領。
*ガバナー事務所より、「国際奉仕事業のアンケート」受領。
*ガバナー事務所より、「2月のロータリーレート」受領。
   1ドル=78円
幹事報告 *横須賀・横須賀北・横須賀南クラブより、2月の例会案内受領。
*ガバナー月信、「2012.1.1 No.7」受領。
出席報告
会員 出席 免除会員の出席 本日の出席率 前週メークアップ前  前週メークアップ後
14名 12名 2名 92.31% 92.86%

92.86%

メークアップされた会員
  横須賀南クラブ→安田、坂本、折笠会員。
  第一グループ三役会→安田、坂本、折笠会員。
  IA委員会合同会議→宮本会員。
  ガバナー補佐・地区役員会議→宮本会員。
  地区青少年交換委員会派遣学生オリエンテーション→宮本会員。

ニコニコボックス報告

新倉  定治様 今年初めて伺いました。本年もよろしくお願い致します。
(横須賀クラブ)
安田     治君 永井様、今日は卓話宜しくお願いします。
坂本  喬彦君 新倉さんおめでとうございます。
コピー機が新品になりました。永井さん、卓話よろしくお願いします。
折笠  仁志君 永井真人様、本日は宜しくお願い申し上げます。
井上  祐一君 誕生祝、戴きました。妻に誕生祝、戴きました。
永井真人様、卓話宜しく。
真木  英一君 永井様、本日の卓話よろしくお願い致します。新倉様、ようこそ。
大橋  昭夫君 永井真人様、卓話よろしくお願い致します。
菱沼  正喜君 永井真人さん、本日の卓話楽しみにしています。
新倉さん、いらっしゃいませ。
菱沼  正喜君 誕生祝、有難うございます。
10 永井不士男君 本日は何かと宜しく御願いします。
11 宮本  清志君 本日の卓話、楽しみにしています。
12 西田  金忠君 本日の卓話、宜しくお願いします。新倉さん、ようこそ。
13 森     勇人君 永井さん、卓話楽しみにしています。新倉さん、ようこそ。
14 西塚  五郎君 「復興に役立てて下さい」とお預かり致しました。
15 新中  宗光君 永井真人様、ようこそ。本日卓話よろしくお願いします。
新倉様、ようこそ。

前日計

345,613円 本日計 32,000円 累計 377,613円

誕生祝 、夫人誕生祝 入会祝

井上 祐一会員
菱沼 正喜会員
井上 秀子様

なし

 
横須賀青年会議所新年の挨拶
竹折 輝虎理事長
 

委嘱状2012年度横須賀青年会議所理事長の竹折輝虎です。
安田会長に委嘱状(顧問)を持参致しました。
社会、人生の先輩として引き続き、ご指導宜しくお願い致します。
 
卓話「これまでとこれから」 横須賀市議会議員 永井 真人様
 

鴨居八幡神社で神主をしております永井真人です。昨年より横須賀市議会議員としても活動させていただいております。今日は卓話ということで諸先輩方を前に大変恐縮ではございますが、少しお時間をいただき、私の今までの歩みとこれからの活動についてお話をしたいと思っております。
 
経歴について
私が生まれたのは昭和52年でして、ベビーブームが終わりちょうど子どもの数が少なくなり始めている時期に当たります。地元の幼稚園、小学校、中学校で学び、とくに目立つこともなく普通の学生生活を送っていました。
家は神社の社務所でして、当時は毎週地域の方が習字、舞踊、謡曲などのお稽古ごとで社務所のホールや広間を使っておりましたので、自分の部屋で受験勉強をするときは耳栓をしていたのを思い出します。

高校では柔道部と囲碁部を兼部していました。

大学に入り物理や数学を勉強していたのですが、英語にも興味がありました。というのも私が小学生の頃に母が子どもたちを集めて英語教室を開いておりまして、私もその教室に参加をしていました。中学から真剣に英語を学んで将来は国連で働きたいと漠然と思ったこともありました。そんないきさつがあって大学生のときに渋谷にある英会話学校に通い始めたのです。当時NHK英会話とっさのひとことという番組があって、その脚本を書いていた巽一郎先生を校長に迎え、大学生だけしか入学できない学校でした。日本の新卒のTOEICの平均が990点満点の試験で400点台という非常に低い水準でしたので、その底上げをしようという精神のもと、いろいろな企業からの出資を得て開校した学校でした。

大学時代は授業よりも英語の勉強に力を入れていました。その成果もありTOEICの点数はかなり上がり、2年後には895点を取ることが出来ました。
研究室ではオントロジーという学問をやりました。哲学用語で存在論という意味ですが、実際には知識共有のシステムについて研究しました。この分野は当時日本語の論文が無く、すべて英語の論文でしたので勉強した英語が非常に役立ちました。
大学卒業後カナダへ留学しました。フランス語と英語の両方を学びたいと思い、フランス語が公用語であるモントリオールに行きました。ケベック大学でフランス語を学び、モントリオール大学で東アジア学について聴講する傍ら英語教授法の資格をとるための学校に通いました。最終的にTESOLという英語教授資格を取得し、取得した学校でそのまま社長秘書兼英語・日本語教師として1年間在籍し帰国しました。
帰国後すぐに就職活動し、株式会社イーオン・イースト・ジャパンに入社しました。千葉本校というJR千葉駅前にある学校で英会話講師として1年間働きました。ちょうどそのころ祖母が他界し、実家の仕事を手伝うため家に戻る決心をしました。仕事はパートタイムにし、横須賀から通える横浜校に変えてもらいました。それから3年間は昼間は神社で、夜は英会話を教える生活を送りました。
 その後結婚を折に退社し、神社の仕事に集中することになりました。神職資格は大学時代に夏休み、冬休みをつぶして講習に通い取得しておりましたから、すぐに仕事をすることが出来ました。
実家に戻って神社の仕事をする中で、地域の中の神社の役割について考えることが多くなりました。神社というのは地域にとってどんな意味合いがあるのだろうか。一年間の行事をこなしていく中で気づいたのは神社というものが地域の融和を醸成する役割を多分に担っているということでした。氏子総代と呼ばれる神社の役員が各地区から出てきており、年間の行事を一緒になって実行していきます。お祭りになれば多くの方が出てきて参加し、そして神輿の寄付などとなれば一人ひとりが少しずつ協力して大きな成果になる。大勢が少しずつ参加することで大きな力になるということを学んだのも神社の仕事の中ででした。
地域には解決していかなければならない問題が沢山あるということを知ったのも神社の仕事を通じて知り合った地域の方たちからでした。昔に比べて今は便利になった、昔よりも生活が楽になったという声も聞きます。しかし、人口が増えていた40〜50年前比べると子どもの数が激減し、地域は独居老人世帯が多くを占め、新たな対策を打っていかなければならない時代に入っています。町内会・自治会は自治体の最小単位である市と連携してこうした問題に対処していかなければならないのです。そんな話を地域の方とする機会が増えていきました。そうした話の積み重ねが市議会議員立候補につながっていきます。
地域を活性化したいという声を聞くにつけ、なにをすれば地域活性化となるのかについて考えを巡らせることが多くなりました。中には自分たちの静かな居住地に外から人が来てほしくないという意見もありますが、活気があるということは淀んでいないということだと私は考えています。人も物も経済活動も動き続けなければ活気は生まれません。同じ人が同じことをやっていても、少しやりかたを変えたり新しい人が入ってくることによって活気がうまれます。これは1+1=2という数学の世界では説明できないことです。我々人間には見えない部分の何かが活気というもので姿を表すのだと考えています。

神職と公職

子どもの誕生における初宮参りや七五三詣、厄除け、結婚式、葬儀など人生儀礼や節目に当たって祭りごとを司るのが神職のつとめの一つです。これは神職自ら人の精神世界を織りなす部分に恒に立ち会うことを意味します。様々な精神状態の方を前にどのようにしたら平穏になれるかをかんがえる事もあります。一方で公職は人の現実的な部分に立ち会う職業だと感じています。いくら精神的に強くても先立つものがなければ生活自体が成り立たないことに異を唱える人はいないでしょう。
経済的にはどうでしょうか。神社は地域に支えられています。氏子が氏子会費を納め、お祓いや祭りの初穂料を神社に納めます。神主はある意味布施経済で生活させていただいているという言い方もできると思います。また、公職においては言わずもがな我々の税金から報酬が出されます。どちらも非常に多くの人から集めたお金によって成り立っていると言うことができます。
神職として地域を支えていきたいという方向性と公職について地域を支えていきたいという方向性が自分の中で合致したとき、立候補への迷いは全くありませんでした。精神的な部分と現実的な部分という対局にありながら共通性と同一方向性を持つ2つの職を持つ覚悟を決めた瞬間でした。
財政難と言われて久しい横須賀市の今後のためにも尽力したいですが、その根底にあるのは常に人間はデジタルではないということがあります。現実的な部分だけ見て計画をたてても実現できるとは限りません。それは我々人間が現実的な部分だけで成り立っているわけではないからです。人という存在を大切にして現実的な仕事に取り組む姿勢を常に持ち続けたいと思っています。

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