第1180回例会
2002年3月25日(月)
◎合唱 「それでこそロータリー」
◎ビジター紹介 横須賀ロータリークラブ 渡辺 治夫殿
◎会長報告 *ガバナー事務所より、「第7850地区GSEチーム受入歓迎会開催通知」受領。
   4月8日(月) 18:00〜20:00 箱根塔ノ沢 「一の湯」
◎幹事報告 *横須賀西RCより、週報受領。

◎出席報告

会員 出席 欠席 本日の出席率 前週メーキャップ前  前週メーキャップ後
  41名 24名 17名 59.00% 66.00% 66.00%
◎ニコニコBOX
渡辺   治夫君 本日はよろしくお願い致します。
永井 不士男君 先週は、掛田副会長大変有難うございました。
高橋   隆一君 今日の卓話、よろしくお願いします。
岡田   忠男君 藤田先生、孫がお世話になりました。
三橋   仁男君 渡辺さんようこそ、ごゆっくりどうぞ。
西塚   五郎君 さくらびよりで気持ちがいいですネ。

本日計 7,000円 累計 468,000円
◎卓話 「私の履歴書」 
高橋 隆一会員
昭和36年12月6日横須賀市鴨居に生まれました。
家は古くから鴨居に住んでおり、前に系図を調べてもらったのですが、かなり昔より続いているみたいです。
家族構成は祖父、祖母、両親そして姉と妹で平成4年6月に祖父が亡くなるまでは、七人という人数的に
は多かった気が致します。
自分としては、核家族として小人数で暮らすよりも、お祖父ちゃんお祖母ちゃんと暮らすのが子供として良
いのではないかと思っています。なぜなら将来、お年寄りに対する優しさや、色々な考え方が深まるからだ
と思えます。
家族は現在6人で、2歳年下の妻と8歳の娘、4歳の息子、それに両親という構成で、時折姉夫婦や妹夫婦
も子供と訪れ、大変にぎやかに暮らしています。家の前はすぐ砂浜で、後ろには山があり大変暮らしやすい
環境です。
学校生活は幼稚園、小学校、中学校とずっと鴨居地区で過ごしました。
この時期の鴨居地区は人口が急激に増えていた時期のようで、小学校一クラス45人、小学校3年の時は
十クラスあった記憶があります。たださすがに多かったのでしょう、かもめ団地に小学校が出来て少なくなり
ました。今、娘が同じ小学校に通っていますが一クラス30人前後で一学年3クラスしかないとは信じられま
せん。記憶違いかも知れませんが、今不思議に思いますのは、中学が確か8クラスだったのは、一クラス
当たりの定員が多かったからだったのでしょうか。
高校は逗子の開成高校に進みました。大変良い学校だったのですが、今にして思えば男子校というのが
後々結婚を遅くした原因だった気がします。今はわかりませんが、通っていた当時の男子校というのは気は
楽なのですが、同世代の女子に対しての付き合いが少なく、その分奥手になってしまったのではないかと
思えてなりません。
大学は東京の大崎にあります立正大学に入学し、4年間で何とか卒業できました。防衛大学や曹候補生
など、当時憧れていました。試験も受けたのですが日頃の勉強不足もあり、もっと勉強しておけば良かった
と後悔しております。
大学卒業後、ロスの州立大学に約1年間、語学留学していました。
大学でも下宿を経験をしていましたが、初めて外国での一人暮しは色々な体験が出来ました。あちらでは、
叔父さんの会社の方に大変お世話になり、なんとか暮らしていた気がします。
アメリカではまず車がないと暮らしていけません。そこで免許証を取りに行くのですが日本のように自動車
学校などありません。試験場といっても二俣川の運転試験場の四分の一もありません。
ただ地区ごとにあって数は多かった気がします。そこで簡単な筆記試験と実技講習があるだけです。
学科は50問中45問で合格でした。各国の言葉で試験が受けられ、自分は日本語でしたが、わざわざ
スペイン語で受けた友達もいました。合格するとその後すぐに実技試験です。試験場の前で教官と一般の
市販車、日本の教習車のように教官側にブレーキ等付いていません。それに乗っていきなり町中を10分
ぐらい教官の指示に従って走ります。
日本で免許を持っていて運転していても戸惑うのに、あちらの方々は平気で走ってしまいます。
文化の違いを見せつけられた思いでした。
考えてもみてください、こちらの教習者の後ろでも危ないと思うのに、初めから運転してしまうのです。
怖くて近寄れませんよね。
ただ、後でお世話になった方に聞いた所では、試験場に行く前にショッピングモールの広い駐車場や、
まったく車の通らない所で練習してから試験を受けに行くそうです。
その次は車です。当然中古車なのですが、日本車とアメリカ車では1000ドルぐらい違います。当時270円
の頃でした。安かったのと名前で、フォードのムスタングというのを買いました。しかしこれがなかなかの曲者
でして、ある時など走行中に後部座席から煙が立ち上がっていました。車を止めてみると、後部座席の
クッションが半ば炭になっていました。近くのスタンドで見てもらうとマフラーが詰まって熱が伝わり火ダルマ
の一歩手前だったそうです。いくらムスタングが火の鳥でも、こちらがそれになってしまっては、どうしようも
ありません。場所が家から車で一時間近くあり、途方に暮れていましたがスタンドの一人に送っていって
あげるよと言われた時には、本当に感謝で一杯でした。
アメリカの人たち、特に町から離れるに従ってですが、困っている時にはお互い様と言う気持ちが強かった
気がします。日本でも、段々と助け合いの心が失われている気がいたします。今回、ロータリーに入会させ
て頂いたのを期に自分も助け合いや人のためにと言う気持ちを、もっと持てるようにしていきたいと思って
おります。
さて、日本に帰ってきまして、就職するに当たり、代々の不動産業や学校の経営を考えるのに何をすれば
という観点から、税理士事務所を紹介していただき、約5年間修行させてもらいました。簿記や相続の勉強
になり、ありがたかったと思っています。
また税理士さんの所はこんなにも忙しいものかと驚きもありました。三月は確定申告や決算期も重なり、そこ
に個人の方の相続でも入ろうものなら、一ヶ月、早朝から朝三時までは当たり前といった感じです。
体調を崩し残念ながら辞めさせていただきました。
次の仕事は、全くの異業種で病院に薬や物を届ける職業です。初めは、横浜の市大病院などでしたが、
慣れるに従い、日本各地を回るようになりました。製薬会社や医療器具メーカーから各地の病院や大学
まで届ける仕事です。もともと旅行が好きで大学の頃は、国鉄の周遊券で車中6泊東北巡りなどをして
いたので、性に合っていたのだと思います。家族は全国の色々な土産を食べられて良かったかと思い
ます。
日本各地の主な空港で行った事のないのは、佐賀空港ぐらいでしょうか。ただ飛行機に乗るのも限界が
あるみたいでして、早朝羽田を出て、札幌、関西、沖縄、福岡、伊丹、東京と6回乗ると体調もたまに悪く
なったりします。ここ、何年かは札幌や仙台に単身赴任しておりました。こちらとの往復生活でしたが、これ
もなかなか楽しいもので、特に雪道の運転に慣れていった気がしております。
また、市内のスキー場まで30分で行けるのも楽しみのひとつでありました。もし、ゴルフを覚えていたらもっ
と良かったのかもしれません。
昨年の9月に祖母が亡くなり、また40歳の区切りとしてもと思いまして、家の仕事に今年の一月より従事する
ようになりました。それまでも仕事のかたわらとしてはいたのですが、父の元気なうちに仕事を覚えるべく、
現在、勉強しております。
ロータリークラブは祖父や父より常々、話を聞いていて是非仲間に入れて頂いたら良かったと思っており
ましたところ、井上様、永井様はじめ皆様のお陰で入会させて頂きまして本当に感謝しております。
ありがとうございました。子供の頃より祖父にクリスマス会に連れて行ってもらっていた自分が、今度は家族
を連れて来れるようになるとは思ってもいませんでした。
◎報告 山王 勇造会員
クラブ定款・細則の変更点を理事会で審議し、会員に周知して下さい。
藤田 武会員
神奈川・横須賀プロバスクラブの現況報告
・ 発足10ヶ月経過し、38名の会員で月一回の例会を開催。
・ 胸バッチ、クラブの歌を作成。
・ 月報編集、欠席者は毎回1〜2名。2月から公開講座開講。
・ ロータリー広報の一翼を担っている。
・ 25周年記念例会への参加を楽しみにしています。

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