●お茶会 2004.11.13  画像提供  加藤文幸様(三浦RC)
       

ウラジオストクの歴史

 1856年にロシア人がこの湾を発見。帝政ロシア時代の極東政策にともなって、ほどなく港と街の建設が始まり、1872年にニコラエフスクから当地に海軍の鎮守府が移されました。1890年代から貿易港として大きく発展し、1905年にシベリア鉄道が全通してモスクワと結ばれました。現在では、貿易港としての機能はナホトカに移されたため、沿岸地方の水産基地として発展しており、造船・水産加工などが主要工業です。

 日本との関係は明治時代に遡ります。明治初頭に邦人が居留し、1876年に日本政府貿易事務所が、1907年には日本領事館が置かれました。このころには敦賀や長崎からの船の定期航路もありました。1917年の10月革命でソ連政権が成立すると列強国の干渉にあい、日本もウラジオストクでの日本人殺傷事件を機に、1918年7万2,000名の兵士を派遣(シベリア出兵)しています。1918年から1922年までは日本を含む外国軍が占領、第2次大戦中には物資陸揚げ港とされました。米ソ巨頭の東西冷戦の時代を経て、1985年以降のペレストロイカ政策でソ連の解体が起こり、新生ロシアの誕生となりました。

 そして現在、新生ロシア誕生から10数年の間に、日ロの交流は経済・文化を中心に進んでいます。ウラジオストクは1992年1月に、一般旅行者に開放され、自由に観光ができるようになりました。1991年に新潟市と、1992年には秋田市、函館市と姉妹都市となりました。