平成18年秋の叙勲

平成18年11月3日付け発令

横須賀ソフトボール協会副理事長の中村 英夫さんが「瑞宝単光章」受賞の栄誉に浴されました。
第7回危険業務従事者叙勲受章者
瑞宝双光章(瑞双) 903(0)
瑞宝単光章(瑞単) 2,691(9)
合計

3,594(9)

( )内は、女性の数で内数。

賞賜(しょうし 瑞宝単光章
功労者概要 消防功労
主要略歴 元横須賀市消防司令
氏名 中村 英夫 男 71歳 令和5年(2023年)7月鬼籍に入られました。
現住所 神奈川県横須賀市
危険業務従事者叙勲
  春秋叙勲とは別に、警察官、自衛官など著しく危険性の高い業務に精励した者に対する叙勲で、平成15年11月から開始されました。
候補者は、「危険業務従事者叙勲受章者の選考手続について」(閣議了解)に基づき、関係大臣から推薦されます。
その者について内閣府賞勲局で審査を行い原案を取りまとめます。
その後、閣議に諮り受章者が決定されます。
春秋叙勲と同じく毎年4月29日及び11月3日付けで授与されます。
また、受章者は勲章を関係大臣から伝達され、勲章を着用し、配偶者同伴で天皇陛下に拝謁(
はいえつ)します。
栄典制度の沿革
  明治4年9月、維新の大業なった新政府は、当時いわば「立法機関」として諸制度の建議の任に当たっていた「左院」に対して
勲章制度の審議を指示し、次いで明治6年,左院の建議に基づき、二等議官細川潤次郎ら5名を「メダイユ取調御用掛」に任命しました。
取調御用掛は、旧幕府陸軍奉行時代にも勲章制度の検討に携わっていた三等議官大給恒(後の賞勲局総裁)を中心に西欧諸国
における勲章制度の調査を行い 、我が国における勲章制度の創設に向けて検討を進め、
明治8年4月に「勲章従軍記章制定ノ件」(太政官布告第54号) が公布されました。
これが現在の旭日章の基になったもので、我が国の勲章制度の始まりとなっています。
以降、明治9年に菊花章、明治21年に瑞宝章と宝冠章、また、昭和12年には文化勲章が制定されました。

褒章については、明治14年12月の「褒章条例」(太政官布告第63号)公布により、
紅綬褒章、緑綬褒章、藍綬褒章が制定されたのが始まりで、以降、大正7年に紺綬褒章 、
昭和30年に黄綬褒章と紫綬褒章が制定され、現在に及んでいます。

生存者に対する叙勲は、戦後一時停止されていましたが、昭和39年春から春秋叙勲として再開され、
また、褒章も、昭和53年から春秋の褒章として春秋叙勲と同日付けで授与されてきました。

このように 、我が国の栄典制度は、国家又は公共に対する功労、あるいは社会の各分野における優れた行いを表彰する
重要な制度として定着しているところですが、21世紀を迎え、社会経済情勢の変化に対応したものとするため 、
政府では栄典制度の見直しを行い、平成15年秋の叙勲及び褒章から現在の制度に移行しました。

現在、生存者に対する勲章・褒章の授与は原則として年2回、春は4月29日、秋は11月3日に
春秋叙勲及び褒章(紅綬褒章、緑綬褒章、黄綬褒章、紫綬褒章及び藍綬褒章の5種類)が 、
また、著しく危険性の高い業務に精励した者を対象とする危険業務従事者叙勲が春秋叙勲と同日付けで授与されています。

瑞宝章
   明治21年に制定されました。
   勲章のデザインは、古代の宝であった宝鏡を中心に大小16個の連珠を配して、
   四条ないし八条の光線を付し、鈕(ちゅう)には桐の花葉を用いています。
   公務等に長年にわたり従事し、成績を挙げた方に授与されます。

ずいほうたんこうしょう
瑞 宝 単 光 章

文、瑞宝章写真 内閣府ホームページより引用

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