例会日時 月曜日 12:30〜13:30
 例会場 湘南信用金庫北久里浜支店 2階
 事務所 〒239−0807  横須賀市根岸町3−3−18
  湘南信用金庫北久里浜支店内
  TEL&FAX 046−837−1211

E-mail:

yokosuka-sw-rc@dnsip.ne.jp

URL:

http://www.dnsip.ne.jp/~yokosuka-sw-rc
 会長 安田       治
 副会長 坂本    喬彦
 幹事 折笠    仁志
 会報委員長 大橋    昭夫

RIテーマ “Reach Within to Embrace Humanity

国際ロータリー会長 カルヤン・バネルジー
(
インド、グジャラート、バピRC

第2780地区ガバナー
森   洋
(横須賀北RC)

第1612回例会週報

2012年2月27日(月)

合唱 「それでこそロータリー」
ゲスト紹介

横須賀市教育委員会 教育総務部 生涯学習課 文化財担当
主任 中三川
(なかみがわ)昇様
ビジター紹介

なし

会長報告 *ガバナー事務所より、「職業奉仕に関する諸活動の実施状況について」受領。
   提出期日:平成24年3月31日(土)
*ガバナー事務所より、「次年度クラブ指導者に向けた広報セミナー開催通知」受領。
   開催日時:平成24年4月12日(木) 14:00〜17:00
   懇親会開催日時:17:00〜18:00 会費:1,500円/一人
   登録締切:平成24年3月15日(木)
*ガバナー事務所より、「2011-2012年度地区会員数報告」受領。
幹事報告 *横須賀クラブ及び横須賀南クラブより、3月の例会案内受領。
出席報告
会員 出席 免除会員の出席 本日の出席率 前週メークアップ前  前週メークアップ後
14名 12名 3名 85.71% 84.62%

84.62%

メークアップされた会員
  地区インターアクト委員会→宮本会員

ニコニコボックス報告

石渡        卓様 先日の卓話料をニコニコに頂戴致しました。
(湘南信用金庫)
安田     治君 中三川さま、今日は卓話宜しくお願いします。
坂本  喬彦君 雨が冷たいですね。中三川様、ようこそ。遺跡の卓話は初めてです。
楽しみにしています。
折笠  仁志君 中三川様、本日よろしくお願いします。
井上  祐一君 卓話者に中三川昇様をお招きして。
真木  英一君 中三川様、本日の卓話よろしくお願いします。
三橋  仁男君 1月より体調を崩し、休会いたしました。未だ本格的に良くなっていませんので、
適当に出席いたします。よろしく。
大橋  昭夫君 中三川さん、卓話よろしくお願い致します。
菱沼  正喜君 中三川様、本日の卓話宜しくお願い致します。
10 永井不士男君 中三川様、宜しく御願いします。
11 宮本  清志君 中三川様、本日の卓話楽しみにしています。
12 西田  金忠君 中三川様、本日の卓話よろしくお願いします。
13 新中  宗光君 中三川さん、本日の卓話よろしくお願いします。

前日計

458,643円 本日計 33,000円 累計 491,643円

卓話 「八幡神社遺跡出土の石棺墓・土坑墓他の埋葬施設と出土人骨について」 中三川 昇様
遺跡名 八幡(やわた)神社(じんじゃ)遺跡(横須賀市248遺跡)
所在地 横須賀市久里浜2丁目11−1(横須賀市立久里浜中学校)
調査期間 2011(平成23)日(月)〜1130日(
調査面積   292.6u
調査主体者 横須賀市教育委員会
調査担当者 生涯学習課 中三川 昇
調査原因 久里浜中学校武道場建設
1.遺跡の概要

 八幡社遺跡は東京外湾に面した古久里浜湾内に形成された砂堆上に立地する遺跡である。これまで本遺跡では計7地点で発掘調査が行われ、古墳時代と中世を中心とした複合遺跡であることが確認されている。
 今回の調査地点は1987(昭和62)8月に発掘調査が行われた久里浜中学校A地点(稲村1991)の隣 接地点である。
同地点の調査では古墳時代中期後半頃の古墳周溝と考えられる溝状遺構や中世の方形竪穴状遺構や土坑・ピット等が出土している。
 このような点から今回の発掘調査地点に関しても同様な時期の遺構・遺物が存在すると想定された。

第1図 遺跡位置図〔1:20,000

第2図 調査地点位置図〔1:5,000

2.調査概要 今回の調査は市立久里浜中学校の武道場建設伴う記録保存を目的とした本発掘調査である。当初は武道場建設予定地の面積290u を対象とし、平成2388日〜107日を発掘調査期間、以後1130日までを出土遺物等の基礎整理期間として開始した。なお、発掘調査は排土置場の余地が少なかったため調査区を南北に二分し、北側を1区、南側を2区とし、1区より順次発掘調査を行ったが、2区調査中の9月16日に同区南端部分で古墳時代の石棺墓が発見されたため、南側の2.6uを拡張して調査対象地に加えた。また、中世遺構群の調査終了後さらに古墳時代と考えられる複数の埋葬人骨が相次いで発見されたため、10月7日以降も人員を縮小して埋葬人骨群の発掘調査を行いつつ、出土遺物洗浄・注記等の基礎整理を発掘現場で行い、1130日をもって終了した。
3.発見された遺構と遺物

(1)古墳時代
埋葬人骨を伴う石棺墓1基、土坑墓2基、ピット2基と性格不明の土坑1基等が検出された。
@石棺墓(略号SZ01)
主に泥岩の自然石を組んで構築された石棺墓である。平面形は先端部(足先側)に向かって狭まっている。側石は先端部付近では一段であるが胸部分では持ち送り状に3段に組まれ、蓋石の位置が高まっている。底石は平坦で、あたかも船を逆さにしたかのごとき印象を受ける。また最先端部の石のみ自然石ではなく使用痕のある碇石(長36.2×幅17.5×厚14.p、重量9.2s、凝灰岩)である。石棺内部の規模は長さ1.2m以上、最大幅約0.42p、想定最大高45p前後である。
出土人骨(1号人骨)は骨盤の形状他から成人男性と考えられる。足先をほぼ真北(N−1.3°−E)に向けた伸展葬で、下顎骨から足骨までが出土した。推定身長は1.6m弱である。平面的には遺体と石棺側石との間に隙間は少なく木棺等の存在は想定しがたい。
明確な副葬品は確認されなかったが、石棺底石の下に散乱した状態で土師器高坏の脚部細片が4点出土した。
A1号土坑墓(略号SZ02)
舟形を思わせる形状の土坑墓である。土坑墓の規模は長さ1.75m、幅8.4m以上、深さ0.35m以上を測る。長軸方向では埋葬人骨の足先側に向かって弧状に浅くなり、短軸方向の掘り方断面系は弧状を呈する。2号土坑墓と一部重複。
出土人骨(2号人骨)は頭骨の特徴他から成人女性と考えられる。足先をほぼ北北東(N−29°−E)に向けた伸展葬であるが下肢骨が浮いて「く」の字状に屈曲しており、やや膝を立てた状態で埋葬されていた可能性も窺える。一部欠失するが頭骨から足骨までが出土した。推定身長は1.4m前後である。土坑底部付近から土師器細片等2点出土。
B2号土坑墓(略号SZ03)
楕円形を呈する土坑墓であるが、土坑墓2基の重複の可能性もある。平面規模は約1.45×1.3mで、確認面からの深さは約0.3mである。1号土壙墓及びP55と重複。
出土人骨(3号人骨)は乳歯及び永久歯の萌出状態から8歳前後と想定され、足先を除くほぼ全身骨格が検出された。足先をほぼ北東(N−507°−E)に向けた伸展葬で、顔面は北西を向く。推定身長は1m未満と考えられるが、性別は不明。覆土上部から土師器細片2点出土。
CP55(略号SZ04)
40p弱のピットである。出土人骨(4号人骨a)は、幼児と思われる未縫合の頭骨(上顎骨〜頭蓋骨)と乳歯?(5本)が検出された。他に出土遺物はない。
DP56(略号SZ05)
60p弱のピットである。出土人骨(4号人骨b)は乳幼児と思われ、骨片と乳歯?(13)が検出された。他に出土遺物はない。P55及びP56出土人骨は同一個体の可能性も考えられる。
ESK38
性格不明の土坑で1号・2号土坑墓の下部から検出された。土壙墓出土と同一個体の土師器細片が8点出土。
Fその他
土師器片・須恵器片・管状土錘等が少量出土。
(2)奈良時代
土師器片・須恵器片等が出土
(3)中世(主に15世紀〜16世紀、一部他時期を含む)
遺構としては、方形竪穴建物跡3棟、土坑37基、柱穴54基が検出された。
出土遺物では、陶器(古瀬戸=碗・皿・壺・擂鉢・他、常滑焼=甕・片口鉢、備前焼=鉢等)、磁器(青磁碗細片3点)、土器(かわらけ片多数)、その他=釣針他の鉄製品・管状土錘等が量出土。
4.まとめ 八幡社遺跡が古墳時代中期〜後期にかけての古墳群が展開していること従前の調査結果等から知られており、八幡神社前地点では古墳時代後期の土坑墓の存在も確認されていたが、発掘調査により該期の石棺墓や土壙墓等と埋葬人骨合わせて確認されたのは今回の発掘調査が初めてである。この結果、古墳時代の本遺跡では高塚古墳のみならず多様な埋葬形態の墓制が展開していたことが明らかとなった。今後は出土人骨他の分析・鑑定等を行い、多様な観点からその意義について検討していきたい。
方形竪穴建物跡他の中世遺構群は、八幡神社遺跡ではこれまで状況が不明であった16世紀代を中心とした遺構群であり、12世紀後半代には始まる本遺跡の中世末期の様相を考える貴重な資料である。中世遺跡としての八幡社遺跡全体の中での位置づけや、古久里浜湾岸に展開する中世遺跡群の中での位置づけ等が今後の課題となろう。
また、明確な遺構は確認できなかったものの、八幡社遺跡においてこれまで希薄であった古墳時代末期〜奈良時代前半を中心とした土器類が少量ながらも出土しており、近隣地に該期の遺構の存在が予測されるところである。
参考文献
稲村 繁 1991  『八幡神社遺跡T』横須賀市文化財調査報告書第21集 横須賀市教育委員会
稲村 繁 2010 「八幡神社遺跡」『別編考古』横須賀市
中三川昇・佐藤明生 1996 『八幡神社遺跡U』横須賀市文化財調査報告書第31集 横須賀市教育委員会
中三川昇 1999 「5.八幡神社遺跡(248)」『埋蔵文化財発掘調査概報集Z』横須賀市文化財調査報告書第33
中三川昇 2006 .八幡神社遺跡(248)」『埋蔵文化財発掘調査概報集]W横須賀市文化財調査報告書第42
野内秀明2007 「5.八幡神社遺跡(248)」『埋蔵文化財発掘調査概報集]X横須賀市文化財調査報告書第44

凡例 SK=土坑、P=柱穴、薄線は近代以降の撹乱

第3図 調査区全体図〔1100

三浦半島、横須賀市内にも色々な時代の遺跡があるわけですが、ただ単に古いというだけではなく、考えよう、捉えようによっては、現代の生活を考える資料になるのだと思います。
この資料を記録として残し、活用しながら、いい街づくりにつなげていければと考えております。(中三川 昇)

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