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卓話者プロフィール |
池井 将(26歳)汐入町在住 |
社会福祉法人誠心会 しらかばこども園 学童クラブ所属 |
幼少期を横浜で過ごして、中高大は関西で育つ。社会人から横須賀。 |
関西学院大学時代に子どもに携わるボランティアなどをして、子どもに関わっていく人生 |
を歩もうと決意する。一度社会に出て勉強するためにタウンニュース社に就職。 |
その後しずくちゃんを救う会→教育や子ども環境を学びに世界を周る。→今年4月から |
大津町にて学童保育(アフタースクール)「ぬくもり」を開設 |
【小児の心臓移植手術の現状】 |
医療的にも法律的にも日本国内で可能(2010年に臓器移植法が改正されてため) |
→現状困難(ドナー不足、施設面の整備、倫理観?など) |
→あきらめる |
→海外渡航移植を目指す |
海外渡航移植には3億円超が必要 |
→保険が効かない、渡航費が高い、難易度の高い手術、など |
※割り込み代ではない。家族や救う会に入るお金は一切ない |
自国での10歳以下の心臓移植実施件数(2016年度) |
日本:1件⇔アメリカ:289件 |
※日本とアメリカの人口比は2.5倍ほど |
アメリカは移植医療が進んでいる(隣人愛の精神?) |
イスタンブール宣言(2008、WHO) |
「移植が必要な患者の命は自国で救える努力をすること」 |
今ではほぼアメリカのみが受け入れ |
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【両親より〜小学校復帰。皆さまに感謝を込めて〜】 |
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この度は、娘の渡航心移植にあたり、たくさんのご支援をいただきまして、ありがとうございます。 |
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活動開始からこれまでの間に、信じられないほどの人々の優しさを感じてまいりました。 |
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そういった想いが、時には折れそうになる気持ちを支え、前に進ませてくれました。 |
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街頭に立てば、多くの方が励ましの言葉をかけてくださいました。 |
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その1つ1つのご支援と応援をしてくださった皆さまにこの場をお借りして改めて感謝申し上げます。 |
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また、混雑する駅や通りでの活動に関しましては、少なからずご迷惑をおかけしてしまったこともありました。 |
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大変申し訳ございません。 |
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そのような中でも真剣にご指摘、アドバイスをいただきましてありがとうございました。 |
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この活動は、多くのボランティアの皆さまにより支えられていました。 |
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自分の時間を削り、ご多忙の中でも雨の日も風の日も街頭に立ち続けてくださいました。 |
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たくさんの身の回りの方々へ、声をかけてくださった方々もいらっしゃいました。 |
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その姿は本当に言葉にならないほど嬉しく、感動的なものでした。 |
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活動の根幹である救う会の事務所運営や、各種活動企画などに力を注いでくださった皆さま |
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地域から全国まで、1つの命のためにアクションを起こしてくださった皆さま |
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いろいろな方が、さまざまな方法で活動を前へ進めてくださいました。 |
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本当にありがとうございました。 |
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ご存じのとおり、米国に渡った後も困難が続きました。 |
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娘は非常に危険な状態になったこともありました。 |
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目の前で何度も電気ショックを与えられて浮き上がる娘の姿は壮絶でした。 |
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それでも心拍は戻らず、モニターが反応しない状態がありました。 |
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40分の心肺停止でした。 |
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この40分間の本気の救命活動が娘の一命をとりとめ、その後に続く2回の手術につながりました。 |
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皆さまの想いが届いた瞬間でした。 |
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補助人工心臓装着後も、その影響で脳出血を起こし |
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娘は視力と視野がなくなっていくという恐ろしい経験をしてしまいました。 |
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痛み止めが効かないひどい頭痛とも闘っていました。 |
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小さな子どもにとっては、そのすべてがとても大変なことでした。 |
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生きるための闘いでした。 |
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親がひと時も離れられない待機生活が続きました。 |
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そして、現地時間2018年5月10日(木)に心臓移植手術を受けることができました。 |
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術後はとても順調で、ほとんど食べることができていなかった食事も |
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よく食べるようになり、少しずつ体も動かせるようになりました。 |
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リハビリも進み、帰国時には自分の足で歩いて帰ってくることができました。 |
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そのときには、娘の苦しんでいた姿や大変だったことが |
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頭の中にスライドショーのようにたくさん浮かんできました。 |
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よく耐えてここまで辿り着いたと思いました。 |
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帰国後には少しだけ体調を崩してしまい、学校への復帰を何度か延期しておりました。 |
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11月中に本格的に復帰したかったのですが、発熱を繰り返したため |
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一度だけの登校で静養することになりました。 |
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早い段階で元気な姿をご報告したかったのですが |
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免疫抑制剤を飲み続ける身体は、想像以上にウイルスや菌に弱いことを実感しました。 |
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その後、ゆっくりと静養したことで、今はもう回復しています。 |
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今年もわずかとなりましたが、病院の先生からも許可が出て |
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12月3日(月)より小学校へと元気良く復帰しました。とても嬉しい出来事でした。 |
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帰宅後も今回は問題なく、本格的な復帰となりそうです。 |
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最終目標として目指してまいりましたが |
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実際にしずくはランドセルを背負って、小学校に通えるようになりました。 |
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1年生の夏休み直後に、学校の中庭で倒れてから、思うように通学できない状態が続いていました。 |
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今はもう小学3年生になります。 |
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久しぶりの登校は非常に不安だったようです。 |
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しかし、親から見ると以前の病室で苦しんでいた娘が今の状況になっていることを何よりうれしく感じています。 |
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子どもらしく笑い、遊び、勉強し、泣いて、怒って、悲しんで、喜んで。 |
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これらができるのは生きているからこそです。 |
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小さな命ですが、しずくにとってはかけがえのない人生です。 |
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娘のたった一度きりの人生を温かい想いで守っていただき、ありがとうございました。 |
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しずくは見違えるほど元気になりました。 |
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みなさまに重ねて感謝申し上げます。 |
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本当にありがとうございました。 |
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岡崎俊哉、泉 |