第1216回例会
2003年2月3日(月)
◎斉唱 『君が代』
◎合唱 『奉仕の理想』
◎唱和 『四つのテスト』
◎ゲスト紹介 石黒 幸雄様
◎会長報告 *ガバナー事務所より、『ポリオ撲滅に関する活動報告依頼』受領。
   締め切り 2月17日(月)
*ガバナー事務所より、『派遣学生オリエンテーション開催通知』受領。
    締め切り 2月3日(月)  
   実施の件受領。 2月10日(月)必着
*交換留学生決定報告。
   当クラブより応募したハイランド在住の穐山学君(神明中学3年生)に決定。
   カウンセラーは坂倉会員にお願いした。
◎幹事報告 *横須賀RCより、例会変更通知受領。
*ロータリーの友受領。

◎出席報告

会員 出席 欠席 本日の出席率 前週メーキャップ前  前週メーキャップ後
38名 27名 11名 71.05% 76.32% 76.32%
◎誕生祝

 西田 金忠会員   :2月 2日生まれ

 山王 勇造会員 :2月28日生まれ

 渡辺 佑一会員 :2月 8日生まれ

◎夫人誕生祝
大堀   秀子様 2月 8日生まれ
西塚 千代子様 2月 8日生まれ
大橋    和子様 2月16日生まれ
栗田 富士子様 2月17日生まれ
山王    洋子様 2月24日生まれ
◎ニコニコBOX
掛田侑男君 石黒先生、本日の卓話よろしくお願いします。
坂倉五佐男君 石黒先生お久しぶりです。卓話楽しみにしております。
宮本清志君 石黒さん本日の卓話楽しみにしています。
角川和義君 石黒さん。
藤田 武君 石黒先生お久しぶり。
三橋仁男君 石黒さんしばらくです。今回の卓話楽しみにしています。 
井上祐一君 石黒幸雄様、卓話楽しみにして居ます。
渡辺重博君 石黒幸雄先生をお迎えして。 
栗田秀樹君 石黒先生卓話楽しみにしています。
10 大橋昭夫君 石黒先生お久し振りです。卓話よろしくお願い致します。
11 西田金忠君 片山さんゴルフ幹事ご苦労さまでした。。
石黒先生本日の卓話楽しみにしています
12 綿谷 透君 石黒先生、卓話楽しみにしています。
13 竹島正毅君 寒いですね。卓話楽しみにしています。
14 藤原康平君  石黒幸雄様卓話よろしく。
15 片山軍二君 石黒先生本日の卓話よろしく、楽しみにしています。
16 渡辺佑一君 石黒先生本日はよろしく卓話願います。
17 西田金忠君 又一ツ年をとりました。
18 山王勇造君 誕生祝ありがとう(二人分)。
19 渡辺佑一君 誕生日のお祝いありがとうございます。
20 西塚五郎君 妻に花をありがとうございます。
21 大橋昭夫君 妻に花をありがとうございます。
22 栗田秀樹君 妻に花をありがとうございます。
23 宮本清志君 ゴルフコンペ参加の皆さん寒いなかご苦労様でした。
又片山さんありがとうございました。
24 井上祐一君 ゴルフコンペに優勝させていただきました。
25 綿谷 透君 先日のゴルフ楽しい1日でした。片山さんご苦労さまでした。
26 片山軍二君  先日のゴルフコンペ楽しませていただきました。
本日計 45,000円 累計 598,000円
◎委員会報告 
真木雑誌委員長
*配布された「ロータリーの友2月号」の内容について説明及びコメント。
*横書きのP18ガバナー座談会「変貌する国際社会とロータリー」及び
   P44「ロータリーの始まった日」が示唆に富んでいるので一読されたい。
*縦書きではP4「泥中の蓮」はマザー・テレサの有名な言葉等があり
   すばらしい文章なので是非目を通して欲しい。
   P11「ユーロ圏を旅して」にも目を通して欲しい。
◎卓話
『小栗 上野介と横須賀』

 大正4年大隈重信首相曰く「小栗上野介こそ横須賀の大恩人である」。

 石黒 幸雄様

*小栗家は徳川家康が生まれる前から徳川家に仕えていた三河の武家です。
   一万石以下の直臣旗本であり、家康生前からの安祥譜代です。
*小栗上野介は1827年に江戸(駿河台)で生まれ、8才から漢学をはじめ諸学問を修得した。
   旗本の子弟の中でも優秀でした。特に馬術に秀でていました。
   17才で江戸城への登城を許され将軍にお目見えしました。
*ペリー来航後、幕府は洋式艦船の修理施設として、オランダの援助を得て長崎に
   長崎製鉄所(1861)と海軍伝習所(1855)を作りました。
*長州など倒幕勢力の西国での動向もあり、特に製鉄所の運営に困難が認め
   られたので、幕府は江戸の近くに新たに製鉄所を作らねばと考え、
   浦賀奉行にその調査を命じました。
   幕府はその調査を基にして製鉄所建設地の検討に入りました。
*この時の幕府の担当責任者が勘定奉行の小栗上野介であり、小栗と横須賀との
   関わりはこの時から始まる。元治元年(1864)のことです。
*当時フランスとの関係を深めていた幕府は、小栗・栗本鋤雲・フランス公使ロッシュ等に
   横須賀湾・長浦湾の調査を行わせ、適地として横須賀湾が選ばれたのです。
   慶応元年(1865)に鍬入れ式が行われ、東洋一と言われた工場の建設が始まるのです。
*このことから、小栗の判断がなければ、私たち横須賀の今に至るまでの
   発展はあり得なかったでしょう。
*しかし、小栗のこの大きな功績が公に顕彰されたのは、大正4年9月の軍港開設
   50周年の時でした。時の首相大隈重信が式典の祝辞の中で『小栗上野介こそ
   横須賀の大恩人である』とたたえたのです。これを機に小栗の胸像(朝倉文夫作)
   が皇后陛下の御下賜金で作られ、大正11年除幕をみたのです。
*幕臣であるが故の心無い圧力が小栗の功績を認めない月日を積み重ねたのでしょう。
   小栗は若くして認められ、遣米使節の責任者の一人として選ばれたほどの、
   智力と広い視野を持つ幕府のエリートでした。
*41才『罪なくして斬られた』小栗の悲劇は、江戸から明治へ変わる維新の動きの
   中でのことで、慶応4年(1868)旧暦4月6日のことです。明治改元は目前でした。
*一方、小栗と並んで幕府の色々な要職を勤めた勝海舟は、小栗と異なり旗本の
   株を買った41石の下級旗本でした。オランダ語をマスターし長崎の海軍伝習所の
   幹部になったのが出世の始まりでした。
*勝は咸臨丸でアメリカへ行ったが、小栗は井伊大老に抜擢されて、日米修好条約
   締結のためポーハタン号で、勝より少し遅れてアメリカへ渡りました。
   アメリカでは実際に交渉に当たり、アフリカやインドを経て9ヶ月後に日本に帰って来ました。
*小栗の悲劇の始まりは、不在中に彼を抜擢してくれた井伊大老が桜田門で亡く
   なったことや、能吏で自信家であったので敵が多かったことです。
*薩長等の反幕勢力の台頭の中で、小栗は先の先まで徳川家を中心とした
   幕府の継続を基にして、将来の色々な政治展望を描いていた。
*勝は1862年に軍艦奉行になると、神戸に海軍繰練所を作り
   反幕勢力も入れて海軍の育成を図った。   
   最も、これは幕府の反対で廃止された。
*幕府がフランス派であったのに反し、勝は反幕勢力と同様にイギリス派でした。
   勝は恭順派でもあり、コスモポリタン的な思想、信念に基づいて行動しており、
   江戸城の無血開城に尽力した。
*小栗は群馬に逃れたが、慶応4年に反幕軍に捕らえられ斬首された。
*現在横須賀の臨海公園にある小栗とヴェルニーの胸像は後に作られた作品で
   朝倉文夫の作ではない。
横須賀三景 画像提供 角川 和義会員

湘南国際村より

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